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カッティングシート41年のあゆみ 
【更新日:2015年05月11日】


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2007年10月15日、プロジェクト発足から二年半を経て、待望
のCSデザインセンターがオープンしました。ここはお客様との
コラボレーションの場。未来のCSデザインを生み出す、文字
通りセンターにしていきたいと考えております。どうぞ宜しくお
願いいたします。
この節目をむかえ、ホームページに私のコラムをという話があ
りました。私達の素材に老舗という言葉はあまり似合わないか
もしれませんが、開発から40年あまり、"カッティングシートは
当社の登録商標"でもあり、この素材のパイオニアと自負して
います。せっかくの機会ですので、素材開発の歩みについて、
普段はあまりお話しすることのない、私という人間が実感し、
頭を悩ませ、喜びを感じたことなどを書きつづってみようと思
います。
私の実家は、中川堂といい、古くから東京神田で看板業を営ん
でおりました。昭和30年代、看板素材は塗料が当たり前だった
時代。高度成長の時代背景の中で、業界は絶対的な技術者不
足にみまわれていました。当時学生だった私は、この時代に何
が必要なのか考える毎日・・技術革新の必要にかられ、新素材
の開発に情熱を傾け始めました。昭和41年、晴海の東京モータ               
ーショーでシート素材7色を発表。しかしながら当時、この素
材は業界から全く受け入れられませんでした。それでも、ひと
つのアイデアによる突破口から(次回以降で詳述しますが)、
カッティングシートは徐々に世の中に知られるようになりまし
た。更に時を経て、成田空港や新幹線、地下鉄などの大規模な
2-200.jpg公共空間の照明サインに全面的に採用されたことが起爆剤とな
り、現在のようなサインやディスプレイへの使用が定着しはじ
めたのです。

さて、カッティングシートのような素材が必要だと感じた背景
・・まずは、子供の頃の話から始めましょう。昭和20年の東京
大空襲で実家は焼け、焼け野原で看板業務を再開したのは、父
が戦争から復員した昭和21年のことでした。東京は、今考える
と、想像もつかない別世界で、子供の私の身長で見てJRの神田
駅と浅草橋駅が同時に見えました。工場も車も殆どなく、焼け
野原には一面に草が茂り、空気も澄んでいたのをおぼえていま
す。食料難で実家の付近には、サツマイモやトウモロコシが植
えられていました。そんな中、父と母が自らの手で建てたバラ
ック小屋が最初の住まい。家族みんなで狭い小屋ですし詰めに
なって寝ていると壁板の節穴からきれいな星が見えました。
そんな時代、看板屋は、塗料は自前でつくらなければなりませ
んでした。父親が顔料の塊を刃物で板の上に削り、それを瓶の
腹でつぶして細かい粒にします。更に油と混ぜてヘラで溶き、
布で漉して、初めて塗料ができるのです。この塗料は、そのま
までは乾かないので、使うときに乾燥剤を加える必要がありま      
した。それを筆や刷毛で塗るのですが、現場で文字一つを書く
にも、一人前になるには大変な修業の月日がかかります。実家
には何人もの職人さんが住み込んで、母の作った夕食をとった
後、古新聞を広げ、裸電球の下で文字の練習をしていたのは忘
れがたい光景です。

次回は、少しずつ復興していく日本で、看板業がどう変わって
いったか、私自身の体験を交えながらお話ししたいと思います。


代表取締役 中川幸也






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