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トークショー 「CSデザインの過去・現在・未来 -1」(ダイジェスト 前編)2009年11月06日

永井一正(グラフィックデザイナー/CSデザイン賞審査委員長)
内田繁(インテリアデザイナー/CSデザイン賞審査員)
萩原修(デザインディレクター)  中川幸也(中川ケミカル代表取締役)

昨年、中川ケミカルCSデザインセンターで、「CSデザイン賞展 ~26年の軌跡~」と題し、設立から現在までを振り返る展示が行われました。その際、草創期から審査員としてご尽力いただいた、永井一正先生と内田繁先生をお招きし、デザイン賞設立当初からのお話しをうかがいました。今回は、そのトークのダイジェスト版を前編と後編に分けてお届けします。

トークショー 「CSデザインの過去・現在・未来 -1

永井一正(グラフィックデザイナー) × 内田繁(インテリアデザイナー)

 

 

【プロローグ】

 

(萩原) 本日は、CSデザイン賞26年の軌跡を振り返るトークということで、グラフィックデザイン界のトップ 永井先生と、インテリアデザイナー界のトップ 内田先生にお越しいただきました。まず、中川社長よりCSデザイン賞設立の経緯を話していただき、続いて、永井先生と内田先生からCSデザイン賞との関わりについてお話しいただきます。

 

(中川) 切って貼る素材、カッティングシートを私が開発したのは、昭和356年が時代背景の映画「三丁目の夕日」の頃。当時、商店や銀行、企業の看板、それから街を走っている車のボディサインも、全部塗料。そして、電車やバスの時刻表に至るまで、全部職人さんが手書きでやっていました。あれから50年弱。お陰さまで、ショーウィンドウもサインもビルの仮囲いも、ほとんどすべてのものが切って貼る素材に変わりました。心配していた色公害を起こすこともなく、素材の持つ本来の特性が十分生かされ、街の景色に機能しているということに、とても感謝をしています。そして、その陰には、優れたデザインや適切な使い方を啓蒙することを目的とした、この26年にわたるCSデザイン賞の役割が、きっちりと果たされていると感じております。今回、第15回の節目に当たり、これまでの26年間を振り返って、色々な資料を見ながらお話を伺おうと思っております。

 

(永井)CSデザイン賞設立に当たり、中川社長がまず最初に会ったのが、東大の美学出身でデザイン評論家の勝見勝先生。先生は、グラフィックデザインという本の編集長でもあり、また、東京オリンピックや大阪万博、札幌オリンピック、そして沖縄海洋博などの総合ディレクターをお務めになった人。通産省関連の所にもいらしたんで、官界とか政界にも顔が利く、デザイン界のリーダーみたいな方だったんです。その勝見先生に、永井君加わってもらえないかと誘われて、第2回から加わったんですよ。だから、第2回から今に至るまで、ずっと僕は審査に参加しているということ。ただ、第2回が終わったところで、勝見先生が亡くなってしまうんですね。とりあえず、第3回の審査委員長は僕が務めさせていただきましたが、第4回からはグラフィックデザイン界のボスである亀倉雄策先生にお願いすることになり、その回から、グラフィックの田中一光さん、福田繁雄さん、そしてインテリアの内田さん、それから建築家の菊竹清訓さんという錚々たる人たちを審査員にしたんです。そして、それまで毎年開催していたのを、より充実したコンペにするべく、隔年にしました。その後しばらくして亀倉先生が亡くなってからは、再び僕が審査委員長を務めさせていただいて、今日に至るという経過です。

 

(内田)永井先生のお話にあった通り、僕は第4回からです。審査員の皆さんが錚々たるメンバーで、僕はちっとも錚々たるもんではなかったので(笑)、弱ったなと思って‥。当時、CSとは、ビジュアルを中心にしたものだと僕は理解してましたんで、こんな先生方の間で、果たして僕に何が出来るだろうと思って‥。しかし、それがやがて立体・建築・インテリアというものに関わってくると、永井先生達は読んでいらしたんですよ。それは見事だったと思いますね。確かに、流れの中で後半になってくると、この素材は建築とかインテリアの中で大活躍してきますね。そんな具合に僕は参加したんです。

 

(萩)CSデザイン賞は、1982年にスタートしていますが、当時僕は武蔵野美術大の学生で、視覚伝達デザイン学科でサインとか視覚環境とかの勉強をしてました。さて、メーカーとして素材を開発して立ち上げた中川社長の視点と、インテリアやグラフィックの世界にいらっしゃるお二人の先生の視点は、恐らく異なると思うので、その辺を織り交ぜながらスライドを見ていきたいと思います。その前に、カッティングシートの開発からCSデザイン賞立ち上げの話を、中川社長にしていただきます。

 

 

【カッティングシートの開発からCSデザイン賞立ち上げまで】

 

(中川)私の実家は、中川堂という戦前からの古い看板屋です。東京大空襲の翌年、昭和21年に親父が戦後の焼け野原で看板屋を再開しました。その頃、看板屋にはペイントもなくて、顔料を買ってきて自分でペイントを作らなきゃならなかったんです。顔料を削って油を混ぜて、布で漉して、そのままじゃ乾かないからドライヤーと呼ばれる乾燥剤を加えて‥。そして初めてペイントとして使うことができるんですが、そういったものを看板屋は自分で作ってたんです。昭和20年代中頃には、蛍光灯が普及しまして日本中が明るくなりました。そうすると、照明看板もぼちぼち出てきましてね。盤面ガラスにどう細工するかというと、タンポでペイントを薄く伸ばしていくペンキ加工っていう技法があるんです。又、セロファンを薄いにかわの乳液で浸して、それを貼り付けるセロファン加工っていうようなこともやってました。そんな職人さんに囲まれて、私は育ったんですが、とりわけ印象に残っているのは、住み込みの職人さんが、夕食後に古新聞を広げて、毎日毎日一生懸命、字の勉強をしていたこと。その時、フリーハンドで一本の線を引くってのは、ずいぶん大変なんだなと実感しました。一人前の職人になるには、大変時間がかかるんです。戦後の混乱期を突破して昭和30年代に入ると、日本は経済復興の時期に入ります。新幹線はできるは、高速道路はできるは、晴海でモーターショーなんかも開催されて。そして、東京オリンピックや大阪の万博の頃には、日本は世界経済第二位になってしまった。そんな短期間に、あの焼け野原から世界経済第二位までいくっていうその復興のパワーは凄かった。日本中の経済が復興したことで、サインディスプレイ業界もとても仕事が増えたんですが、機械化できないこの業界では、仕事がこなしきれない。私は昭和30年代には学生で、長男でしたから家の仕事を手伝っていました。その頃うちの仕事は、デパートの内外装専門の装飾屋でした。銀座の松屋、日本橋の白木屋(後の東急日本橋店)や、小松ストアとかの現場には、いつもついておりました。デパートの改装っていうのは大変なんです。定休日の前の日の夕方から入って、あくる日いっぱい、その次の開店の朝の10時までに、どんな大きな仕事も仕上げなきゃいけない。そうすると、木工屋から経師屋さんから文字書きの人まで全部段取りよく手配しなきゃならない。職人さんをどうやって集めるかは、現場監督の腕でね。その頃、こんなことじゃしょうがない、何とかしなきゃいけないと思って、そんなに時間がかかるものじゃなくて、もっと簡単に出来るような素材開発しかないなと感じました。昭和36年、株式会社中川堂の中に新製品開発事業部を作って、素材開発を始めたんです。まず既成の文字を作って、「スピードサイン」という名前である程度売れたんですが、結局最後は素材だなと思いまして。それなら、筆で塗料を塗るよりも、出来上がったシートを切って貼るほうが合理的。一本の線を引くんだって3年も5年もかかるわけだけれど、原稿を貼り付けてカッターナイフで切れば、一般の人でもできるんですよ。それから、高い技術料を取る人が、ここから新宿まで時間割いて行って、字ひとつ書いて帰ってくる。その費用ですね。シートならば、切ったものを郵送すればいいし、乾かす間もいらない等、色んないいことがありまして。それで、昭和41年に「カッティングシート」という商品が7色でスタート致しました。とてもいい商品だと思ったんですけど、実は看板業界っていうのは、自分で苦労して覚えたり親方から教わった技術を、弟子に教えて商売してるんですよ。だから、筆を置いてカッターナイフに持ち替えてくれっていっても、これはとても難しいことで。そんな職人の世界ですから、ほとんど売れずに67年。その後転機がありまして、新幹線の案内板や照明が仕込まれた案内板、これがカッティングシートに変わったんです。例えば乳白のアクリルに片側から黒のシートを貼って、大阪というように文字を抜いて剥がします。剥がしたところは糊が残らないから、裏から電気を当てれば、黒地に照明で大阪と文字が出てきます。色をつけたければ裏側に色を貼ればいい。この看板は画期的で、新幹線の看板から成田空港の統一看板まで、当時カッティングシートになりました。その後、鎌田経世さんがゴシック45.50というカッティングシート用の文字を開発しまして、これが地下鉄のサインなどで大活躍しました。市民権を得たカッティングシートは、昭和50年以降、急激に普及するようになりました。そして、中川堂の新製品開発事業部は、昭和50年の8月に独立して中川ケミカルになりました。切って貼れば景色が変わる材料が急に普及しだすと、色公害が心配になりました。こんなこと当時考えてる人はあまりいなかったですけど、いい形で街の景色の中で使われなきゃ素材は普及しないと思ったんです。それから、切ったデザインは、筆で書いたデザインと違ってぼかしやかすれがないので、ちょっと癖が違うんです。それで、この貼る材料を使った普及活動をしたいと思いまして、デザイン賞を設定したいと考えました。サインデザイン関係のお仕事をなさっていて、現在『サインズ』という雑誌の編集長もなさっている鎌田経世さんには、カッティングシートの前身「スピードサイン」という既成の文字の商品化からお世話になりその後もずっとアドバイスをいただいていますが、当時、デザイン業界の世界をほとんど知らなかった私は、デザイン賞をどこに持っていって誰にやってもらったらいいのかと言う相談を、その鎌田さんにしました。そうしましたら、勝見勝先生しかいないということになり。デザイン業界は勿論、政財界まで通じておられるとても偉い先生のところに、あまりよく分かっていなかった私は行っちゃったんですね。それで、先生の前で自分の考えをお話ししたら、評判ではとてもおっかないはずの先生が、私にとっては全くおっかなくなくて、いい話だからとOKしていただきました。他社の製品も含め、切って貼る材料に対してのデザイン賞を、とお願いしまして、ただ、「カッティングシート」っていうのは私どもの商品名ですから、せめて名前だけは、頭文字をとってCSデザイン賞にしていただきたいと言ったら、それはもちろん結構だということで、名前も決まりました。そして勝見先生にご相談して、五十嵐威暢さんにトロフィー作成を頼みに行きました。そうしたら、私達のようなデザイナーがもらって机の上に置きたいと思うレベルのトロフィーで、しかも企業色が出ないものなら引き受けてもいいとおっしゃって、できあがったものが、これ。とても重いんですが、大変素晴らしいトロフィーを作っていただきました。最初の審査委員長が勝見勝先生で、1982619日経団連ホールで一回目がスタートしました。初回にもかかわらず、2116点の作品が集まりまして、そのときの大賞が銀座のソニービルの壁面、1階から7階にわたる大きな作品でした。そしてそのその後、永井先生のお話にあったようないきさつで、私どもとしては本当に身に余る夢のような審査団が出来上がりまして、現在に至っております。

 

(萩)ありがとうございました。設立までの経緯が非常によく分かりました。それでは、各回の大賞をピックアップして見ていきましょう。

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【第1回】1982

 

(中川)実は、CSデザイン賞の1回目に関しては、私しか知らないんです。これは、1階から7階まであるタイルの壁面。それまで、デパートの外装は、上から布を垂らした所謂ふんどしというのが一般的だったので、この使われ方は当時とても斬新だったと思います。

 

(永井)銀座のソニービル壁面というのは、非常にフラットで大きな壁面。これは、カッティングシートには絶好の表現場所だったんじゃないかと思います。それを、非常にシンプルに上手く使ってデザインしていて、印象に残りますね。

 

(内田)あそこは、とてもメディア性のあった場所。だから、こういうことをやるのにとっても向いていたって感じがします。

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【第2回】1983

 

(萩)1983年の段階で、かなり複雑な表現をしていますね。この時は、まだコンピューターなど使っていないので、手切りでかなり苦労して作られたんじゃないでしょうか。

 

(永井)写真をすっ飛ばした感じ、要するに印刷のアミ点のようなものまで出してるんですからね。

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【第3回】1984

 

(永井)これは、ものすごく印象に残ってる。池袋のSEIBU美術館。展覧会場の手前にあるもので、それぞれの展覧会にあわせて田中一光さんがデザインした、かなり大きなサインです。彼がデザインした光朝という字体や色面構成は、展覧会の内容を見事に表現している。印刷物って言うのは大量生産できるけれども、カッティングシートが使われるようなところは、一点ものでしょう?だから、精度が高くて、色彩も含め、きれいじゃないといけない。カッティングシートの特徴を、デザイン的に水準高く押し上げたって言うのは、この辺からだと思うんですね。グラフィックデザインとカッティングシートが、格調高く結びついたという代表的なものじゃないでしょうかね。

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【第4回】1986

 

(永井)イラストレーションで一世を風靡した、アメリカのプッシュピンスタジオで活動していた宮内ハルオさんが帰国後、フリーな絵を描きだしたんですが、それとカッティングシートがぴったり合った。自由でラフな感じが、切って貼ることによって上手く表現されて、新鮮に感じましたね。

 

(内田)非常に特徴的なのは、精度良く拡大できるって事。つまり、カッティングシートって素材が生まれたことで、拡大が自由になった。小っちゃかったら、ここまでいい効果は出て来ないと思うんですよ。

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【第5回】1988

 

(永井)カッティングシートを使ったデザインは、東京や大阪などの大都市に集中しがち。しかし、地方にも普及し始め、仙台の地方銀行の看板でこういうものが出てきた。好ましいユニークなイラストレーションで、色彩がものすごくきれい。カッティングシートの色も、非常に豊かに数が揃ってきた感じがしますよね。

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【第6回】1990


(永井)デパートの、すごく高くて広い空間に、雪が降ったような、あるいは吹き上げたようなデコレーション。銀のカッティングシートがキラキラ輝く、非常に効果的な表現でした。

 

(内田)それまではビジュアルに強かったのが、このあたりから、立体的な構造物の方に移っていくぞという気配が少しずつ見えてきたんですよね。

 

(永井)透明な塩ビ板と銀色のカッティングシートだけで、ここまで迫力あるものを作るのは、やっぱり大変なことです。これだけの大スペースをカッティングシートで埋めたっていうのは、恐らくこれが初めてでしょう。

 

(萩)おっしゃる通り、それまでとはガラッと雰囲気が変わり、文字やイラストではなく、空間を表現した作品が大賞を獲得したんですね。

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【第7回】1992

 

(永井)切り絵的なイラストレーションを得意としている舟橋全二さんの作品。正にカッティングシートは、水を得た魚って感じだよね。

 

(内田)舟橋さんって、カッティングシートを大活用なさいますよね。非常に向いてたんでしょうね。

色がきれいだから爽やかでとても美しいです。

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次回、第8回からつづきます。


永井一正 Kazumasa Nagai

 1929年大阪生まれ。1951年東京芸術大学彫刻科中退。1960年日本デザインセンター創立に参加、現在、最高顧問。ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ金賞、日宣美会員賞、東京国際版画ビエンナーレ東京国立近代美術館賞、日本宣伝賞山名賞、、勝見勝賞、、毎日デザイン賞、芸術選奨文部大臣賞、ブルノ国際グラフィックビエンナーレグランプリ、紫綬褒章、勲四等旭日小綬章受章。モスクワ国際ポスタートリエンナーレグランプリ、メキシコ国際ポスタービエンナーレ1位、東京ADC会員最高賞、毎日芸術賞、ザグレブ国際ポスター展グランプリ、ヘルシンキ国際ポスタービエンナーレグランプリ、ウクライナ国際グラフィックアート・ポスタートリエンナーレ展グランプリ、東京ADCグランプリ、亀倉雄策賞等受賞。富山県立近代美術館、東京国立近代美術館、メキシコ国立近代美術館、イスラエル国立美術館他、国内外での個展開催多数。東京ADC会員、JAGDA理事、AGI会員。


内田繁 Shigeru Uchida

1943年横浜生まれ。桑沢デザイン研究所所長。毎日デザイン賞、芸術選奨文部大臣賞等受賞。紫綬褒章受章。メトロポリタン美術館(NY)、モントリオール美術館等に永久コレクション多数。日本を代表するデザイナーとして国際的評価を受けるなか、世界各国での講演、国際コンペティションの審査、ミラノ、NY、ソウル等での展覧会、世界のデザイナーの参加するデザイン企画のディレクションなど、つねにその活動が新しい時代の潮流を刺激し続けている。また、日本文化の探求を発展させ、現代の茶室や立礼卓などを発表するとともに、デザインと日本文化の深い関わりを活動、教育に生かす研究をつづけている。


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